開業した理由
幼い頃からの…
僕は和歌山県和歌山市にある
整骨鍼灸院を営んでいる両親の下に生まれ育ちました。
そこで自然と整骨院の受付が僕の遊び場となり父の背中を見て育ち
意味もわからず患者さんに「お大事に~」と言っていました。
小学生の卒業文集には「お父さんの様な先生になる」と書いていたぐらい
今の僕の礎となりました。
僕だけ相撲道
実は整骨院を営んでいたのは父だけではなく
祖父、伯父、従兄弟、兄も整骨鍼灸院を開院していて全員柔道一族でした。
が!小さい頃から僕はとても恵まれた身体をしていたので父が
「柔道より相撲をしなさい」と言い
僕だけ小学1年生から相撲をする事になりました。
地元和歌山で開催されるわんぱく相撲で
小学5年生と6年生の時に2年連続小学生横綱を取る事が出来
僕は相撲への道を進む事に決意しました。
相撲道から医療に進む転機
スポーツはケガ(外傷)が付き物です。
特に相撲はケガが多いスポーツだと思っています。
実際、僕も小学生から高校生の期間相撲をしていましたが全身ケガをしました。
頸部捻挫、腰部捻挫、突き指、眼球内出血等。
ケガをする度に父に治療してもらい
相撲部の後輩、先輩や先生も父の施術を受けていました。
相撲部の恩師(右が僕の恩師です)が
「お前の親父の施術が無かったら今こうして相撲を教える事が出来ていない。
お前の親父には本当に感謝している」と
僕に話してくれた事で、僕は改めて父の凄さを感じました。
と、同時にこの恩師の言葉で
「僕も競技者より父の様な選手から感謝されるサポーターになりたい」
と思い父と同じ医療の道へ進む転機となりました。
21歳で鍼灸師 24歳で柔道整復師
そして、僕は高校を卒業してから迷う事無く
大阪岸和田市にある国際東洋医療専門学校 鍼灸学院、柔整学院へ入学し
鍼灸学院では鍼やお灸を基礎として東洋医学を学び
柔整学院では骨折、脱臼、打撲、捻挫、挫傷を中心に勉強し
通学しながら6年間岸和田市にある1日60名以上来院する
整骨院で働きながら下積みを経験しました。
そして無事に現役合格で専門学校を卒業し国家資格を得ました。
整骨院以外の世界を経験
卒業後は整骨院業界を外から見たいと思い
従業員2000人を超える大阪の会社に就職。
ここの会社は自社のクリニックもあり
有料老人ホームが6施設、デイサービス、ケアプランセンター、訪問看護、訪問介護など幅広く、また介護と医療の繋がりの連携を強くしている会社でした。
僕はここのデイサービスの管理者を経験。
ここでの経験が今の僕に繋がっていると言っても過言では無いです。
大阪から沖縄県名護市へ
僕が専門学校在学中から付き合っていた彼女(今の嫁さんです)が大学卒業を機に
兵庫から沖縄へ帰る事になり僕も沖縄に行こうと思いました。
「沖縄の地域に根ざした医療を心掛けて、地域の人に元気になってもらい、
健康寿命を伸ばしてあげる為に沖縄に行く!」
と意識が高くカッコいい人は言うと思いますが僕は違い、
「沖縄好きやし、1回住んでみよかなー!」
と思い当時は本当に軽い気持ちで沖縄の名護市へ移住を決意しました。
2015〜2020年
名護市に移住してリハビリ特化型デイサービスに勤める事になり
大阪で学んだ介護と医療の連携をする為に訪問鍼灸を設立。
デイサービスの利用者様を中心に施術をしていました。
また、リハビリ特化型デイサービスを退職後は
名護市にある鍼灸整骨院で勤務しました。
ここでも前職の訪問鍼灸のシステムを確立し
地域医療に細やかですが貢献してきました。
2021年 名護ハタケナカ鍼灸整骨院 開院
幼い頃から長年の目標である父に並ぶ為の
スタートラインに立てる事が出来ました。
父の時代には無かった最新治療機器や保険外での施術にも力を入れ
沖縄の地域に根ざした医療を心掛けて、地域の人に元気になってもらい、
健康寿命を伸ばし患者様から信頼していただける鍼灸整骨院を
当院の目標として施術を行っていきます。